Japan Society for Madagascar Studies / Fikambanana Japoney ho an'ny Fikarohana momba an'i Madagasikara
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「民族学的研究領域としてのマダガスカルの可能性」

深澤秀夫 (東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所)

 マダガスカルに暮らす人々については、研究者側から言語・文化的な同質性の存在が指摘されているだけではなく、マダガスカル人自身がそのような同質性の指摘を国民国家形成の歴史の中で「現代のたいへんに有効な政治的神話」と評されるほどに自らの内に取り込んでいることから、オランダ民族学が提唱したその内部での相互比較研究が可能でありかつ意味をもつ民族学的研究領域の恰好の適用例をなすものと考えることができる。現代人類学から排除されて久しい「比較」の可能性を、マダガスカルという民族学的研究領域の俎上に四つの具体的事象を置くことによって探りたい。

 第一に、マダガスカル語の各方言を比較してみると、統辞法の面からメリナ方言を中心とする中部方言群とサカラヴァ方言やベツィミサラカ方言などその他多くの方言とに大別することができる。前者が主語と述語あるいは動作主と動詞と目的語の関係が明示される「厳密な」統辞規則をもっているのに対し、後者は人称代名詞について主格と目的格との音声上の区別がないことや目的語を示す助詞あるいは節を示す接続詞などがないことから前者に比べ統辞法の「ゆるやかさ」が共通している。このことは、マダガスカル語が、当初インドネシア系の最初の移住者の言葉を核にしながらその後マダガスカルにやってきたインド洋の様々な地域の人々の間で用いられた「地域間共通語」として成立し、次に比較的近年になってインドネシアからマダガスカルに来島したメリナ系の人々がオーストロネシア語族本来の文法規則をよく保存しながら既に成立していた「地域間共通語」としての原マダガスカル語を取り入れ、それによって生まれた新しい方言がイメリナ王国とフランス植民地の許で教育やマスコミを通じて全島に普及していったという二つの成立段階を想定させる。

 第二に、マダガスカル各地の稲作と農耕を概観してみると、稲作という現代の主要な景観の裏に稲作以前の農耕が全島を覆っていた歴史の存在を指摘することができる。すなわち、島内でも稲作への専従度が高く灌漑排水によって水田を干拓してきたメリナ族においてさえ16世紀頃には稲を知らなかったとの伝承があり、またヤム芋は栽培から野生まで生育状態および栽培種が多様であると共にヤム芋を指すウーヴィの名称が全島に広く分布しているだけではなくオーストロネシア諸語におけるヤム芋の名称とも一致しているのである。さらに、稲作をめぐる儀礼における祈りの言葉を見てみると、稲はその収穫や豊穣をもたらす主体として措定されておらず、その主体は神や祖先であり、祈り全体として「稲作儀礼」よりも「土地儀礼」の性格が顕著である点も、稲作以前に土地儀礼として広く行われていたものが稲の導入後に稲作に転用されたことを示唆している。

 第三に、マダガスカルの諸社会においてもオーストロネシア社会と同様に土地を呪的・霊的に所有するとされる〈土地の主〉の単語とその観念が存在する。しかしながら、マダガスカルにおいては土地そのものの森林から焼き畑・焼き畑から水田への人間の働きかけによる変化に伴い、通時的に〈土地の主〉の観念そのものもまた変化してきた可能性をもっている。すなわち、焼き畑耕作民のタナラ族では、〈土地の主〉とは森のもつ豊饒と幽界双方の側面を背景とした正と負・祝福と呪詛の両義的な力をもつ霊的存在を指すのに対し、焼き畑耕作から水田耕作への転換の歴史が長いツィミヘテイ族では、〈土地の主〉とはある土地を最初に拓いて定住した人とその子孫を指し、この〈土地の主〉の人々が土地の実りや豊饒についての儀礼を執行する権利をもつ一方、土地に棲まう霊は〈土地の主〉の名をもって儀礼において呼びもとめられないばかりか人に災いを及ぼす存在として積極的に排除の対象として扱われているのである。このことは、人が処女地に定住する当初、その土地に棲まい土地に関して両義的な力をふるう霊的な存在とその間に儀礼的な関係を確立し祝福を導き出すことに成功した人間との二者関係としてあった〈土地の主〉が、土地に対する労働の投下が水田をめぐって集約的となるに従い次第に祖先が子孫に与える祝福のひとつとして土地における豊饒が位置づけられ、それと共に祝福の構図から土地の霊的存在が排除されその結果本来の両義的な力から邪悪な性格へと収斂していった変容の過程を示すものと解釈することができる。

 第四に、マダガスカルの諸社会において死者をしかるべき墓に埋葬しまた定められた儀礼的手続きを経ることによって子孫に祝福を与える祖先という集合的存在に定位することの重要性はつとに指摘されている。しかしその一方、死後の世界についてとりたてて語るべき言葉をもたずまた同一の身体−生命観をもちながらも、墓への帰属方法と祖先への定位の儀礼的手続きに対する差異から、生者と祖先をめぐって異なる観念が社会毎に存在することをツィミヘテイ族とシハナカ族との事例が示している。すなわち、シハナカ族においては墓への埋葬以外の儀礼的手続きがなく、また双系的関係上に位置する全ての墓の中からある死者にとっての生活史上の関わりから一つの墓が選択されそこに埋葬される結果、選択されなかった墓の祖先に対しゆるしを乞う呼びかけが行われる。これに対しツィミヘテイ族では、埋葬から数年後に牛を供犠する儀礼的手続きが必須である上、死者は墓に男系的関係に基づいて埋葬され逆にそれ以外の関係の墓に埋葬された場合にのみ男系的関係の祖先に対しゆるしを乞う供犠が行われなければならないのである。この結果、シハナカ族においては、個人名による死者の名指しはその生きていた時の個人をめぐる忘却されない個性を想起させるがゆえに時に供物をもって買収される存在であり、あるいは祖先を呼びもとめる儀礼では全ての祖先を呼びもとめることの形式が留意される。一方ツィミヘテイ族の儀礼における祖先の呼びもとめでは、個人名による名指しは父方親族と母方親族・男系親族とそのほかの親族との示差性として作用するがゆえに儀礼言語としての定型度を低めるほどに繁用されるだけではなく、個人名で名指される死者の夢や占いにおける現出でさえそれが埋葬と死後の牛の供犠を終えている限り集合的な祖先という存在を脅かす行為ではなく、あくまでも特定の死者と特定の子孫との個人的関係に根ざす行為として社会的に処理されているのである。

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