Japan Society for Madagascar Studies / Fikambanana Japoney ho an'ny Fikarohana momba an'i Madagasikara
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「マスアラ半島樹上生活記」

田口学 (関西大学探検部)

 われわれ関西大学探検部の4人とマダガスカル人協力者3名の合計7名で、マダガスカル島北東部マスアラ半島熱帯林を訪れたのは、1997年10月15日のことでした。

 北東部は、マダガスカルを舞台にした研究や報道の中でも、比較的報告実績の少ない地域であり、かつわれわれが目指しました空間というのは樹上という特殊世界であり、多くの人にとってそうであるようにわれわれにとってもこの計画を通して初めて目にするマダガスカルの一側面でした。行ったこともないマダガスカルの樹上という空間を相手にいろいろな作戦を練って、そして、国内で幾多の合宿を通じて身に付けた技術を用い、初めて自分たち自身がこの目で樹上の空間を垣間見、この手でそれらに触れ、果てには野生の原猿が寝ているわれわれの上をぴょんぴょん走っていくといった幸運に恵まれたわけです。

 第3回マダガスカル研究懇談会では、TBS「報道特集」(98年2月8日)で放送された香川隊員入魂のVTRと朝日新聞(97年12月31日)などに大きく取り上げられた木村隊員の力作スライドをメインにしてこの熱帯林計画の狙い、意義、成果などを紹介しました。映像のような迫力を伝えられないのが残念ですが、このニュースレターでも以下に報告させていただきます。

 この企画の概要は以下の通りです。

事業名 関西大学熱帯林研究計画 MASOALA CANOPY PROJECT
日時 1997年9月20日〜12月10日 うち、熱帯林内期間 10月15日〜11月30日
場所 マスアラ半島熱帯林
隊員 田口学 田中彰 香川史郎 木村幸司(以上4名、関大探検部)、
NARISON(日本語通訳、コーディネーター)、
HAJARIDERA (植物学生態学博士)、
TOHMAS(ローカルスタッフ、木材業)
目的 独自の林冠生態学の研究方法論による樹冠部へのアプローチ実験と、
その生態系、特に蘭に着目して観察採集活動を行う
方法 縦穴洞窟に用いるS.R.T.の技術(Single Rope Technique)を応用し、
樹上から樹上への移動と、 樹上テントでの完全滞在を実現し、24時間観察を可能にする

 企画が始まった当初は、マダガスカルという生態特殊島の熱帯林ならまだ見ぬおかしな昆虫や植物がごろごろいそうだなあ、新種を見つけたら名前を付けられるのかなあといった無垢な想像で計画を進めていたわれわれでしたが、酔っ払ったOBがある日「お前ら、熱帯林を普通に歩くようなおもろないことすな、木のうえ歩いて来い」という過激なアドバイスをくれました。それが樹上という空間との出会いでした。

 木の上という空間を調べてみると、生態学の新興の一分野で林冠生態学という学問があり、樹上の生物に着目して活動していることを知りました。一説には、地球上の生物の8割が熱帯林に集中し、その熱帯林の中ではさらにその8割が樹上=林冠に生息するといいます。熱帯林は太陽光のほとんどが密に込み合った樹上の葉層でさえぎられます。よって、光合成が行われ開花結実するのは主に樹上で、それを摂取する動物が樹上で生活し、さらにその動物が他の動物に捕食され、さらにその動物が・・・と言った具合に木の上で生態系は完全体となります。言わば、生命活動の最前線なのです。必然的に生態学の研究者は研究対象が木の上にいる場合が多く、例えば鳥の研究者は鳥の採餌、抱卵、子育てなどという生活行動を追うわけです。しかし、通常の調査活動では、それらを地上から観察して行うわけで、対象物とは樹高の高さ分だけ物理的に離れることになります。そんな中で、研究者は木に登りはじめました。対象と同じ目線に立つという盲点のようなダイレクトメソッドを模索しだしたのです。

 具体的な方法論を伴った林冠生態学が始動したのは、1980年代のことです。現在のところ、代表的なスタイルが4つほど提案されていますが、安全面、資金面、樹上での長期に及ぶ移動や滞在、さらには環境へ与えるインパクトなど各々に課題が残されており、実験段階にあるといえそうです。

 このような現状の中、われわれが木の上を歩こうとして考えていることが、研究方法論の一案になりえるのではないか、と考えました。こうして、極度にバカバカしく思えるわれわれの計画が曲がりなりにもアイデンティティーを持ち広がりを見せました。

 先行する林冠生態学の方法論には大きく影響を受け、その中のひとつロープテクニックによる方法論がわれわれの原型です。縦穴洞窟をにおける垂直方向の昇降技術であるS.R.T.を用いて樹上にアプローチし、木の上から次の木の樹冠へ今度はボウガンで太い枝の股へ釣り糸をつけた矢を飛ばしてくぐらせ地上の支援隊員との連携で2段階のザイルのやり取りをへて徐々に太いザイルに架け替えるという過程で樹上にザイルの道を作り、垂直昇降技術を水平方向へ応用するというものです(写真1)。 写真1
写真1 ボウガンで次の木をねらう
写真2
写真2 樹上での生活
 これにとどまらず、田中隊員のずば抜けた創造力の賜物である折りたたみ式樹上吊り下げ型テントを用いて樹上での生活を行い、30日間以上サルのごとく暮らしてみようと試みました(写真2)。

 マスアラ半島は、マダガスカルの全土を見渡しても最も大きく熱帯林が残る場所ということで、舞台に選びました。さすがに、大きな木々にあふれていました。樹高は30mに達し、胸高での幹周りが200cmを超えるものがざらで、板根という地上に大きく張り出した特有の根、上部の着生植物のつき方、樹種の多さなど地上からひと目見渡しても特徴的に熱帯林の様相を持ち、日本の山々とは違う多様性を感じます。初めて夜を過ごした明け方には、樹上にブラウンレムールが大勢集まり、一斉に威嚇の叫び声をかなりの時間に渡って集中的に浴びせていったものです。未明のまだ辺りも暗い森の中では恐ろしく野生の香りが充満し、手ごわいな、舐めたらアカンでと、大いに気を引き締めてくれたものでした。

 木に登っていくと、更に醍醐味を味わえます。太陽光が届かないので、木に下枝は生えません。太い15mの真っ直ぐな丸太の上に、日本の15m程度の木を継ぎ足したようなと想像してもらっていいかも知れません。長い年月のあいだ風雨にもまれた証のように、樹皮には彫刻したような深い皺が入ったざらざらしたものや、逆につるつるしたものもあります。木のそばを川が走っていたらその側面には隣木がなく木が生えませんし、密接に木々が生い茂っているところでも倒木によって、樹上の絨毯に穴ができたりします。そういうところには、陽が差し込むのでツル科の植物がパーマをあてた巨大なロングヘアのように肩=地上部分まで伸びています。そんなのをみていると、刺されたら痛そうな虫が大量に生活していそうでやたらと怖いものです。樹上の植物たちをどれもありがたく見ているわけではありません。木の上でザイルに繋がり身の自由が利かないわれわれを一番悩ませたのはアブです。常に20匹ぐらいはまとわりついて刺す機会をうかがっています。牛の血ばかり吸って生きているものだから、黒い服には集まりやすいらしく、薄い色の服は隊員に好まれ、洗わず着つづけられ臭くなっていきました。雨後にはヒルが出るし、アリの巣を壊すとアリが怒って噛むし、夜中首筋に何かが走るので潰して手で払いのけたのを朝見たらムカデだったということもありました。

 しかし、総じて樹上の世界は、快適です。日が当たる爽快感は植物ならずとも実感できます。鳥が同じ高さで鳴いています。蘭を中心とした着生の花達が開花の時を待ってつぼみを作っています。遠くで驚いて樹上を走りさる本物の原猿がいて、みんなの目が釘付けになります。同じ目線から見た彼らの筋肉の躍動感などはやはりたいしたもので、小型の原猿のくせして自在に飛んではねて一瞬で彼方に消えていきます。樹上の原猿たちの存在感は素晴らしく、役者ぞろいの林冠でもやはりその主役でしょう。

 少し低い階層の木々の林冠がブロコッリーのような姿を見せ、真上からそれを見つつ木から木への空中散歩の気分は盛り上がります。歩みは遅々として、1日仕事で約40mを進むのがやっとです。それでも、どこかの国のナマケモノよりは俺らは働き者と自嘲しながら、来る日も来る日も矢を放ちザイルをせっせと伸ばしました。休む暇はないのです。研究者ではないわれわれ探検部がこの技術が研究方法として使えるフレキシブルなものであることを証明するために、ある数値目標を設定しました。「1ヶ月の連続樹冠滞在」とその間に「1000mの連続移動」を達成すること。これは林冠研究の日本のパイオニアであった故井上民二京大教授からもらったアドバイスです。樹高が高く雨風の多い熱帯林の木は予想以上に風にあおられて揺れるもので、夜寝ていて何度もうなされている他の隊員の姿を見ながら、昼間見た倒木の姿が思い出されたことも一度や二度ではありません。目標値を前にしてわれわれの足跡をこの林冠から絶やしてはならないというみんなの思いで、ザイルをつなぎついに30日目に1000mを超える移動距離を達成しました。

 その数日後には、原猿が僕らのテントに夜の闇にまぎれてやってきました。これは、威嚇の声を叫び続けた熱帯林入りした当初の頃から比べると、原猿側のわれわれを見る眼が変わったということではないでしょうか?確かに、樹上で生活するわれわれの周りには食べ物の臭いが出ます。それにひきつけられたというのが直接的な原因かもしれません。が、しかし、それでも同じ状況にあった1ヶ月前にはアブやムカデしか訪問客はいませんでした。ふらっと現れたわれわれを警戒気味に遠めに観察していた彼らも、1ヶ月のあいだ樹上に軌跡を記したことで、いつからか同じ樹上の生活者なんだと見直して警戒感を解いたのでしょうか?原猿を食べたらおいしいよと、土地の人が笑う地域の野生の原猿が人の存在を知らずによってくる訳はありません。人以上というか、サル並に彼ら原猿に近い存在にわれわれが思われたのだろうか?その日から夜毎やってきた原猿は僕らの寝袋の上を走り、手にのって疲れた心身をいやしてくれました。この感動を忘れることができません。

 この計画では、蘭のサンプリングのみが許可され、70種に達する蘭を樹上と地上で採集しました。それらは全種類がチンバサザ植物園に、複数のサンプリングができた種については、京大の分類学教室に標本をとして託しました。そして、98年日本生態学会で初めて試みられた林冠生物学の分科会では、立ち見が出る盛況でこの分野への関心の高さが伺われましたが、その中でもわれわれの取り組みが紹介されました。そして、今度はマダガスカル計画にも参加した木村、田中を中心としたアマゾン熱帯林林冠計画が進められており、さらに高めた樹上の技術とそれを用いた具体的な生態調査の研究活動として期待が高まっています。

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